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曲解説〜川畠なりみち自らの言葉で〜

I.アルベニス Isaac Manuel Francisco Albéniz y Pascual(1860-1909)

タンゴ 作品165-2

Tango Op.165-2

I.アルベニス Isaac Manuel Francisco Albéniz y Pascual(1860-1909)

原曲は、アルベニス作ピアノ曲集「スペイン」の第2曲で、それをクライスラーがヴァイオリンとピアノ用にアレンジした。タンゴといいつつも、アルゼンチンのそれと違い、ハバネラ風のゆったりとした流麗なリズムにのって曲は進行していく。

B.バルトーク Bartók Béla Viktor János(1881-1945)

ルーマニア民族舞曲

Romanian Folk Dances

B.バルトーク Bartók Béla Viktor János(1881-1945)

原曲はピアノのために書かれた、バルトーク34歳、1915年の作である。
その後ハンガリー弦楽四重奏団の第一ヴァイオリン奏者でバルトークの友人Z.セーケイがヴァイオリンの為に編曲し、原曲よりも多く演奏されるようになった。

R.シュトラウス風の管弦楽法の影響、またシェーンベルク一派の表現主義やドビッシーの印象主義等、様々な側面を持つバルトークであるが、この「ハンガリーにおけるルーマニア民族舞曲」は、コダーイと並ぶ、民族音楽収集家として卓越した業績を残したバルトークの若かりし時代の傑作である。

E.ブロッホ Ernest Bloch(1880-1959)

ニーグン

Nigun

E.ブロッホ Ernest Bloch(1880-1959)

3曲からなる組曲「バール・シェム」の第2曲だが、今日ではこの曲だけが単独で演奏されることが多い。「ニーグン」とはヘブライ語で即興という意味であり、文字通りヘブライの旋法を用いた即興的な曲となっている。感情の赴くまま、自由な音楽表現が求められるが、それだけに自由と規律の共存が問われるところでもある。

スイス生まれで、後にアメリカに帰化したブロッホは、自らのルーツであるユダヤの民族音楽に根ざした作品を数多く残している。ニーグンはその分野の代表作である。

J.ブラームス Johannes Brahms(1833-1897)

ハンガリー舞曲第1番、第4番

Hungarian Dances No.1, No.4

J.ブラームス Johannes Brahms(1833-1897)

ロマの人々の香り高いダンス。民族の悲哀が描かれているように思う。しかし、そこにも「私達の言うことも聴いて」と言う人生への切なくもたくましい声が聞こえて来るようだ。

元来、ブラームスの作品は内向的で情感に満ちた作品が支配的である。しかし、ブラームスは若いころからハンガリーのロマの舞曲(チャルダッシュ)にあこがれ、スケッチブックに書き留めていた。それを素材に最初はピアノ連弾曲を作曲した。これが非常に好評だったので、ヨアヒムが直ちにヴァイオリン用に編曲した。技能的に離れ業を駆使して開放的な作品への変化に成功している。ピアニストとのやり取りも面白い。

ハンガリー舞曲 第5番

Hungarian Dances No.5

J.ブラームス Johannes Brahms(1833-1897)

ブラームスは、エジソンが発明した蓄音器に初めて音楽を録音したが、その歴史的記録に刻まれた音楽は“ハンガリアン舞曲”だった。力強さと奔放さが特徴のこの第5番は、とても自由で演奏者を拘束したりしない。むしろそこから、たくさんのアイディアを膨らませることができるような気がする。

G.カッチーニ Giulio Caccini(1545頃-1618)

アヴェ・マリア

Ave Maria

G.カッチーニ Giulio Caccini(1545頃-1618)

バロック時代メディチ家の統制化にあったフィレンツエの宮廷で活躍したジュリオ・カッチーニの代表作。

私にとってはグノー、シューベルトに次ぎ、アヴェ・マリア第3曲であるが、先の2曲が安らかな心の世界を歌っているのに対し、カッチーニのアヴェ・マリアはより劇的かつ叙情的である。この曲を演奏するにあたり、それぞれのアヴェ・マリアの持つ境地と聖域に少しでも近づいていくことができることを願っている。

C.シャミナード Cécile Louise Stéphanie Chaminade(1857-1944)

スペイン風セレナーデ

Sérénade espagnole

C.シャミナード Cécile Louise Stéphanie Chaminade(1857-1944)

パリ生まれの名ピアニスト、セシル・シャミナードは、ヨーロッパを中心に活発な演奏活動を行い、とりわけ海を隔てた隣国イギリスでは定期的に演奏会を開き、名声を博した。一方、ゴダール門下の作曲家としても知られ、200曲あまりの作品を残している。

F.ショパン Frédéric François Chopin(1810-1849)

ノクターン 嬰ハ短調 遺作

Nocturne cis-moll

F.ショパン Frédéric François Chopin(1810-1849)

若き日のショパンが、ポーランド時代の1830年頃に書いた単独の小品。通称第20番として知られているが、生前には出版されず、作品番号も付いていない。大ヴァイオリニスト、ナタン・ミルシュテイン(1904-1992)がヴァイオリン用に編曲して有名になった。中程に、同じ頃に完成したピアノ協奏曲第2番のメロディが一瞬顔を出す。

C.ドビュッシー Claude Achille Debussy(1862-1918)

美しき夕暮れ

Beau soir

C.ドビュッシー Claude Achille Debussy(1862-1918)

バッハの対位法、ベートーベンの動機展開、そしてドビュッシーの甘美な旋律。この3つを持つことが、作曲家として究極の贅沢であろう。―大作曲家、バルトークの言葉である。

18世紀、バッハ、ヘンデルの時代から、時代と共に移り変わってきた音楽様式の潮流に異議を唱えるかのようにドビュッシーは独自の世界を築き上げた。その夢想的な美しいメロディーは、聴く者の心をその独特な音楽世界に誘う。

この「美しき夕暮れ」もシンプルな音列ではあるが、それだけに微妙な音程感覚の相違や音色の変化等により、いかに幻想的なその世界に入っていくか、演奏する者にとって興味の尽きない曲である。

組曲「子供の領分」より第6曲「ゴリウォーグのケークウォーク」

Golliwogg's Cake-Walk

C.ドビュッシー Claude Achille Debussy(1862-1918)

ゴリウォーグとは、フローレンス・アップトンの絵本に出てくる黒人の男の子の人形。ケークウォークは黒人の舞曲の一種で、この作品は西洋音楽とアフリカの黒人音楽が融合した初期のものといわれる。中間部では、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」の冒頭部分が引用されている。歯切れ良さとぎこちなさという相反するものが同居するユニークな作品。童心に帰り、まっさらな気持ちで演奏したいものである。

G.ディニーク Grigoras Dinicu(1889-1949)

ひばり

Alauda arvensis

G.ディニーク Grigoras Dinicu(1889-1949)/ 寺嶋陸也 編曲 arranged by R.Terashima

ルーマニア生まれのヴァイオリン奏者ディニークは、パガニーニ、ヴュータン、ヴィエニアフスキなど敬愛する先人たちにならい、進んで作曲活動を行い演奏することにより名声を得た。この「ひばり」は「ホラ・スタッカート」と並ぶ彼の代表作である。快活なピアノのリズムに乗ってヴァイオリンが無休動風のパッセージを奏し、その間、幾度となくひばりが気まぐれにさえずる。ジプシー楽団で活躍したディニークらしい即興性に富んだ名作である。

E.エルガー Edward William Elgar(1857-1934)

気まぐれ女

La Capricieuse

E.エルガー Edward William Elgar(1857-1934)

「初めて聴いても懐かしさを覚える旋律。スタッカート奏法を多く用いているが、パガニーニやヴィエニアフスキの作品に多用されるそれが極めて技巧的であるのに対し、この曲におけるスタッカート奏法は緩やかなテンポの中、旋律の美と優雅さを際立たせるためのものとして用いられている。曲全体をとおしフレーズごとに転調するところなどは、もしかするとこの曲のタイトル(気まぐれ女)の所以かもしれない。

愛の挨拶 作品12

Liebesgruss Op.12

E.エルガー Edward William Elgar(1857-1934)

8歳年上の夫人カロラインと結婚した年、エルガー32歳の時の作曲。

私のファーストアルバム”歌の翼に”の最初の収録曲としてもこの曲を選んだ。心にしみ入るさわやかな旋律を思うたび、その美しさに魅了されてしまう。色彩的には周りの色に映え、しかも他の色を引き立てるハッとするほど美しい白を思い起させる幸福感あふれる曲だと思う。

A.ドヴォルザーク Antonín Leopold Dvo?ák(1841-1904)

スラブ舞曲 作品72-2

Slavonic Dance Op.72-2

A.ドヴォルザーク Antonín Leopold Dvo?ák(1841-1904)

クライスラーはヴァイオリンのために編曲した作品をたくさん残しているが、この曲もふと口ずさんでしまうような懐かしさがあって、優しさや涙がにじんで来るような思いにあふれた美しさが伝わって来て、いつの間にか深く心に残っている事に気がつく。

ユモレスク 作品101の7

Humoresque Op.101-7

A.ドヴォルザーク Antonín Leopold Dvo?ák(1841-1904)

ドヴォルザークは1892年にニューヨークに招かれ音楽教育にも尽力したが、この地で有名なホ短調交響曲「新世界」などの大作を書いた。しかし郷愁を抑える事ができず、1894年夏故郷ボヘミヤに帰った。この時作曲されたのがユモレスク8曲である。ドヴォルザークが幸福感に浸っているときの作品らしく、リズミックで楽しいスケッチは広く愛好されているが、ユモレスクと言えばこの曲と言われるように特にこの第7番が知られている。

M.ファリャ Manuel de Falla y Matheu(1826-1946)

スペイン舞曲第1番 オペラ“はかなき人生”より

Spanish Dance No.1 from "La Vida Breve"

M.ファリャ Manuel de Falla y Matheu(1826-1946)

スペインの作曲家ファリャがこの曲を書いた1904年、時代は20世紀を迎えて、芸術は新たな流れの中に突入しようとしていた。この曲は、サルスエラ(zarzuela)と呼ばれる、伝統的スタイルに基づいて書かれているが、スペイン風のリズムやメロディー、そして生き生きとした色彩豊かなところは、ファリャの代表作、バレエ“三角帽子”で衣装を手がけた、彼と同じアンダルシア地方出身の画家、ピカソの、強烈なまでに明るい画を想い浮かばせるものだ。

G.フォーレ Gabriel Urbain Fauré(1845-1924)

夢のあとに 作品7の1

Apres un reve Op.7-1

G.フォーレ Gabriel Urbain Fauré(1845-1924)

2.枚めのCD“アヴェ・マリア”にも収録されているが、元々は60年もの間、歌曲を作曲し続けたフォーレの代表的な歌曲である。2000年11月、師事していたG.プーレの教えを乞うため、ドーヴァー海峡を渡りパリに行ったが、フランスの香り高い気品ある名曲を再び学ぶことができた。

それにしても、フォーレはどんな思いでこれを作曲したのか。もしかしたら、夢の中でしか叶えられない今は懐かしい人との再会、そして目覚めた後の切ない思いを描いたのかもしれないと思ったりもする。

G.ガーシュウィン George Gershwin(1898-1937)

歌劇「ポーギーとベス」より、サマータイム、女は気まぐれ

Summertime、A Woman is a Sometime Thing from the Opera"Porgy and Bess"

G.ガーシュウィン George Gershwin(1898-1937)

ヨーロッパからちょっと旅して土の匂いいっぱいのアメリカのモダンに挑んでみたい。 この曲に出会った時、荒々しい中にも不思議な活力と魅力を感じた。斬新かつ大胆な旋律。それは本当にのびやかで、小走りに走って行ってワーイと声を上げてみたくなるような心を解き放つ思いがする。この曲は、1920年のサウス・カロライナの黒人スラム街を題材にした歌劇をハイフェッツがヴァイオリンとピアノ用に編曲したものの一つである。

C.グノー Charles François Gounod(1818-1893)

アヴェ・マリア

Ave Maria

C.グノー Charles François Gounod(1818-1893)

1980年、8歳で命の危なかった見ず知らずの私のことを、我が子と思って献身的に世話をして下さった今は亡き、はる子さんのアメリカンネームもマリアンであった。2000年秋、20年ぶりに訪れたロサンゼルスのコンサートで、最後に演奏したのもこの曲であった。この曲を演奏すると、これまで辿ってきた道を思い、自分を支えてくれた多くの方々への感謝の気持ちでいっぱいになる。

E.グラナドス Enrique Granados y Campiña(1867-1916)

スペイン舞曲

Danzas espanolas

E.グラナドス Enrique Granados y Campiña(1867-1916)

情熱を秘めたピアノの前奏で始まるアンダルシア地方の民俗音楽を基盤にしたこの曲は華やいだ美しさの中にも人の心をしびれさせる悲しく暗い旋律が生きている。いかにもラテンの世界を思わせる愛すべき旋律の流れが続く。

A.I.ハチャトゥリアン Aram Il'ich Khachaturian(1903-1978)

剣の舞

Sabre Dance

A.I.ハチャトゥリアン Aram Il'ich Khachaturian(1903-1978)

1942年に作曲されたハチャトゥリアンの代表作である「ガイーヌ」の第一組曲の中でも最も有名な踊りで、黒海の南方に住むクルド族が剣を手にして踊る出陣の舞。この管弦楽曲用組曲をハイフェッツがヴァイオリン独奏曲用に編曲した。多くの人に親しまれる強烈なリズムはジャズにも使われており、この単調な音形と動きの激しさが人気の ゆえんになっているのかもしれない。

F.クライスラー Fritz Kreisler(1875-1962)

愛の喜び / 愛の悲しみ

Liebesfreud / Liebesleid

F.クライスラー Fritz Kreisler(1875-1962)

ウィーン生まれで20世紀前半のヴァイオリンの名演奏家でもあるクライスラーの作品にはウィーンの甘さとしゃれた雰囲気があり誰しもが共感を覚えるのではないか。

「愛の悲しみ」、「愛の喜び」は、共にウィーンの古き佳き時代の舞踏会風のワルツだが、センチメンタルな思いを描いた前者と、快活な中にも優雅で感傷的な思いを忍ばせたように思われる後者とはセットで演奏される事も多い。誇り高きウィーンの音楽を、気品を持って演奏できればと思う。

ウィーン奇想曲

Caprice Viennois

F.クライスラー Fritz Kreisler(1875-1962)

最近美しい言葉に対する関心が少し薄れているのではないかとよく言われるが、美しい音に対する関心もいつも持っていたいものだと思う。クライスラーはどの曲を取ってみても本当に美しい。華やかで繊細でそして控えめである。このウィーン奇想曲も知らず知らずの内にウィーンの宮廷音楽華やかりし頃へ誘われて行くようだ。

美しきロスマリン

Schön Rosmarin

F.クライスラー Fritz Kreisler(1875-1962)

”古いウィーンの舞踏歌”の第3曲で、スタッカート奏法を多く用いている。しかし、パガニーニやサラサーテの作品にみられるような速くて鋭い技巧的なものと違い、いかにも舞踏歌といったリズムを感じさせる。細かいスタッカートひとつひとつに表情をつけて演奏したいものである。

コレルリの主題による変奏曲

Variations on a theme by Corelli

F.クライスラー Fritz Kreisler(1875-1962)

コレルリのソナタ作品5−10のガボットを主題とし、それにクライスラーが3つの変奏を加えた。主題はシンプルかつ華やか、変奏部分においてはこちらもシンプルではあるがそれ故の難しさも伴う。アルペジオ(分散和音)やトリル、重音奏法などを用いているところは、いかにもヴァイオリニスト クライスラーらしい。最後にもう一度主題を奏し終曲する。

前奏曲とアレグロ 〜プニャーニの様式による

Prelude and Allegro〜in style of G.Pugnani

F.クライスラー Fritz Kreisler(1875-1962)

この曲の始めの部分を聞かれて、まず何をイメージされるだろうか。

僕は大木が忽然と林立して風格と威厳をたたえた風景を想像させられる。そして木々の間の斜面を水が躍るように動き回って、時にはユーモラスに、そしてある時は勇敢に流れていくように映り、心も躍らされる思いがする。クライスラーはプニャーニ(1731−1797)の作風を模倣したと言われているが、本来のクライスラーの軽快な音楽とは趣を異にした魅力がある。

中国の太鼓 作品3

Tambourin Chinois

F.クライスラー Fritz Kreisler(1875-1962)

クライスラーは1923年に東京や上海などの東洋の各都市への演奏旅行を行った。この曲はその時、耳にした中国音楽を基にしたとも言われているが、定かではない。中国の太鼓の軽快なリズムを彷彿とさせるピアノの刻みで始まり、ヴァイオリンはスタッカート奏法を駆使し、東洋的旋律を用いることによって、クライスラーの持つ東洋への思いを表現している。中間部はエキゾチックな中にもクライスラー独特のエレガントな表情を垣間見ることができ、再び、突然我に返ったかのように、急速な冒頭の旋律が展開される。

余談になるが、2006年6月、中国を訪問する機会に恵まれた。その際、私自身、中国という広大な大地に生きる人々のエネルギーの一端を感じることができた。クライスラーは果たしてどのようなことを感じたのだろうか。

F.リスト Franz Liszt(1811-1886)

コンソレーション

Consolation

F.リスト Franz Liszt(1811-1886)

リスト作曲の原曲はシンプルなメロディーに終始するが、その美しいメロディーに20世紀のヴァイオリンの大家ミルシュタインが飾りを加えて編曲した。そのメロディーを損なわないように謙虚に。余談だがこの偉大なるヴァイオリニスト、ミルシュタイン(1903-1992)は1986年、82歳の時にストックホルムでの彼の最後のコンサートでこの曲を演奏した。神秘的な彼のライヴ・レコーディングを聴くと、語ることの出来ない感動が心の中を流れる。

J.マスネ Jules Emile Frédéric Massenet(1842-1912)

タイスの瞑想曲

Meditation de “Thais”

J.マスネ Jules Emile Frédéric Massenet(1842-1912)

マスネはフランスのオペラ作曲家として知られる。この作品は、1894年に初演された代表作のオペラ「タイス」の第2幕第2場で演奏される間奏曲で、本来はオーケストラ伴奏で演奏されるもの。オペラのストーリーは、娼婦のタイスが修道士の導きで修道院に入りそこで安らかな死を迎える…というもの。崇高な美しさを持っている。

F.メンデルスゾーン Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy(1809-1847)

歌の翼に 作品34の2

On Wings of song Op.34-2

F.メンデルスゾーン Jakob Ludwig Felix Mendelssohn Bartholdy(1809-1847)

原曲はハイネの詩に基づく1834年の歌曲。

メンデルスゾーンは私の中で特別な位置をしめている作曲家である。98年の音楽界へのデビュー、99年リリースのファーストアルバム、いずれも彼の作品を取り上げている。この伸びやかで雲ひとつない澄みきった青空を連想させる旋律にふれるたび、まだデビュー間もない頃の自分自身や未来に向けての淡い期待と不安が交差した心情を思い出す。素朴な少年のような心をもって、この作品を歌い上げたいと思う。

V.モンティ Vittorio Monti(1868-1922)

チャルダッシュ

Csardas

V.モンティ Vittorio Monti(1868-1922)

ハンガリーの民族音楽は、哀愁を帯びた中にも生き生きとした逞しさ、躍動するリズムを感じさせる。この曲は、ロマの人々の哀しみを歌った第一部と、器楽的な技巧を織り込んだ第二部に分かれており、ジプシー音楽の代表的な形式チャルダッシュをそのまま曲のタイトルに冠している。演奏者によって様々な即興が可能な点も興味深い。

M.モシュコフスキ Moritz Moszkowski(1854-1925)

ギターレ 作品45−2

Guitare, Op.45 no.2

M.モシュコフスキ Moritz Moszkowski(1854-1925)

この「ギターレ」は原曲はピアノ曲として書かれたが、題名の通りギター的奏法を思わせる箇所が随所に見られ、明るく伸びやかな旋律が歌われる。

19世紀から20世紀にかけての作曲家兼ピアノの名手であったモシュコフスキは、ピアノ協奏曲やオペラなど、数多くの作品を残したが、彼の没後、それらの大半は忘れ去られ、演奏される回数も極めて少なくなってしまった。ポーランド人の彼はドイツで音楽を学び、後半生はフランスへ移住し、パリで過ごした。また、最も知られている作品はピアノ4手のための「スペイン舞曲」と多国籍の側面を持ち、20世紀音楽界におけるナショナリズムを中心とした流れに飲み込まれてしまった感が強いが、時代も変わり世界の距離が縮まった現代において、再評価を受けるべき作曲家ではないだろうか。

N.パガニーニ Nicolò Paganini(1782-1840)

カンタービレ

Cantabile

N.パガニーニ Nicolò Paganini(1782-1840)

作曲家としてだけではなくヴァイオリニストとしても19世紀前半に活躍し超絶技巧で数々の伝説を生み出したパガニーニは、自分自身の技術向上のため、技巧を織り込んだ曲を数多く書いた。それらの曲はヴァイオリン音楽にとって欠かせないものだが、ついつい演奏者も聴衆も技巧にばかり向きがちになる。しかしこのカンタービレは、イタリアの青く澄みきった空を思わせるような開放的な旋律で、縦横無尽に音域が走り、一見シンプルに聴こえる中にもパガニーニ特有の広がりを織り込んでいる名作である。

ラ・カンパネラ

La Campanella

N.パガニーニ Nicolò Paganini(1782-1840)

パガニーニのヴァイオリン協奏曲第2番3楽章をクライスラーが編曲した。演奏者によりテンポがかなり違うのが興味深い。数年前、陽気で冗談好きのイタリア人を思わせるような演奏を聴いたことがある。それもとても魅力的だったけれど、昔、聴いたウィーン風なおしゃれで粋な弾き方もいいものだと思ったりする。

モーゼの主題による変奏曲

Paganini Variations on the G String on MOSES

N.パガニーニ Nicolò Paganini(1782-1840)

ニコロ・パガニーニは、18世紀から19世紀にかけ、ヨーロッパを席捲した大ヴァイオリニストである。そして、その類まれな超絶技巧によって、数多くの逸話を遺した。その一つに、彼はヴァイオリンの弦4本のうち上3本をわざと切り、残ったG線1本で見事に演奏した、というものがあるが、このモーゼの主題による変奏曲こそ、まさにそのような曲である。冒頭から終曲までヴァイオリンの最低弦であるG線1本で演奏されるこの作品は、1819年頃、その前年に初演されたロッシーニのオペラ「エジプトのモーゼ」に触発され書かれたといわれている。

余談であるが、この他にG線1本で演奏される曲として、ラヴェル作曲ツィガーヌの冒頭部などが知られているが、その最高音はG(ソ)であり、「モーゼの主題による変奏曲」では、それからさらに4度上のC(ド)である。また、1本の弦の上を縦横無尽にかつ滑らかに奏することが求められる作風も、目立たないながら、ヴァイオリニスト泣かせの隠れた超絶技巧といえるかもしれない。

M.パラディス Maria Theresa von Paradies (1759-1824)

シチリアーノ

Siciliano

M.パラディス Maria Theresa von Paradies (1759-1824)

パラディスはウィーンで活躍した盲目の女流ピアニストでもある。シチリアーノと言うのはシチリア島に起源がある緩やかで情感漂う舞曲で、この曲を聞くたびに私は幼い頃の思いに戻るような気がする。甘く、もの悲しくて、いろいろな思いが込められているように感じるのだ。もしかしたら、昔聞いた<子守り唄>を思い出させられるのかも知れない。

A.ピアソラ Astor Piazzolla(1921-1992)

フランスの偉大な教育者ナディア・ブーランジェに学び、長くニューヨークに住んでいたピアソラは、器楽と劇場音楽を専門とする作曲家であった。一方、バンドネオン奏者としてコンサートホールはもとより、カフェやバーなどの小規模な空間での演奏にも積極的で、今日演奏される彼の作品の多くはこうした目的のために作られたものである。

それにしても、これほど様々な楽器に編曲され演奏され続けるピアソラ音楽の魅力はどこにあるのであろうか。私は彼の音楽にふれる度、タンゴという音楽ジャンルを越えた、人間ピアソラの心の叫びを聴く。それは、誰しもこの世にある限り感じる、全ての不条理、矛盾、絶望、苦痛と快楽など様々な感情を、極めて即興的な技法を用いて率直に表現しているところにあるのかもしれない。

エスクアロ(鮫)

Escualo

A.ピアソラ Astor Piazzolla(1921-1992)

ピアソラは鮫捕獲の愛好者であったという。この作品では、大洋を泳ぐ鮫の姿がそのまま躍動的なリズムで表現されている。曲全体を支配するリズムが迫り来る鮫の恐怖を感じさせる。

オブリヴィオン(忘却)

Oblivión

A.ピアソラ Astor Piazzolla(1921-1992)

マルコ・ヴェロッキオ演出による<ヘンリー4世>のテーマ曲として作曲された。悲劇的な感情が曲全体を包み込むように流れ、やがて忘却の彼方へと去ってゆく。古典タンゴの形式にとどまらず、前衛的な独自の作風を模索し続けた彼の代表作である。

タンティ・アンニ・プリマ

Tanti Anni Prima Ballade

A.ピアソラ Astor Piazzolla(1921-1992)

タンティ・アンニ・プリマとは、何年も前に、という意味。規則的な伴奏のリズムにのってヴァイオリンが遥か昔を懐かしむかのごとく、そしてやや物憂げに歌う。

M.ポンセ Manuel María Ponce(1882-1948)

エストレリータ

Estrellita

M.ポンセ Manuel María Ponce(1882-1948)

「エストレリータ」とは、スペイン語で「小さな星」を意味する。原曲は歌曲だが、今日ではヴァイオリン曲としてより知られているようだ。演奏に際しては、優雅に、特にポルタメント(指をスライドさせる技法)の使い方に気を配りたい。

S.プロコフィエフ Sergei Sergeevich Prokofiev(1891-1953)

マーチ〜歌劇「3つのオレンジへの恋」

The Love for Three Oranges

S.プロコフィエフ Sergei Sergeevich Prokofiev(1891-1953)

イタリアの作家ゴッツィのおとぎ話をプロコフィエフが面白く、しかも風刺的に歌劇にした。その中の最も有名な曲で、ハイフェッツがヴァイオリン用に編曲した。プロコフィエフの独特な響きが、いかにも現実を揶揄しているようで痛快な気分にしてくれる。

S.ラフマニノフ Sergei Vasil'evich Rachmaninov(1873-1943)

ヴォカリーズ

Vocalise

S.ラフマニノフ Sergei Vasil'evich Rachmaninov(1873-1943)

穏やかな音形をたどり曲が進んでいく。あふれる感情を内に秘め、ピアノのシンプルなリズムにのってヴァイオリンが静かに、しかし表現豊かに歌う。一つ一つの音を、あたたかく包み確かめるかのように。

M.ラヴェル Joseph-Maurice Ravel(1875-1937)

ツィガーヌ

Tzigane

M.ラヴェル Joseph-Maurice Ravel(1875-1937)

フランス人作曲家ラヴェルは生涯を通してフランス以外の音楽文化に強い関心を寄せており、1924年にツィガーヌを作曲したきっかけになったのも、ハンガリー生まれの女流ヴァイオリニスト、イエリー・ダラニーが、即興演奏しているのを聴いて、彼女の為に書いたと言われている。

第一の特徴は、曲の半分近くを占める冒頭の長い即興風のカデンツァであろう。特にその前半部分はヴァイオリンの最低弦であるG線1本で奏される。その後、主題が激しく展開されてゆくが、ヴァイオリンの様々な機能を生かして進行していくので、奏者にとっては、段落ごとに楽しみが持てる曲だと思う。ツィガーヌとはドイツ語では「ツィゴイナー」のことであるが、ジプシー音楽のリズムや特長を大胆に採り入れた作品である。

N.A.リムスキー=コルサコフ Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov(1844-1908)

熊蜂の飛行

The Bumble-Bee

N.A.リムスキー=コルサコフ Nikolai Andreyevich Rimsky-Korsakov(1844-1908)

歌劇(皇帝サルタンの物語)の第2幕第一場で、海を越えて飛来した熊蜂が白鳥の周りを飛び回る場面で奏される原曲は管絃楽曲だが、ヴァイオリンやチエロなどの独奏楽器にも多く編曲されている。半音階を用いた常道曲で、襲撃する蜂の羽音を表現し、時折現れるピッチカート奏法が熊蜂と格闘する皇帝サルタンの息子、グヴィドン王子のようすを思わせる。一瞬の熊蜂の襲撃を見事に描写した傑作である。

C.サン=サーンス Charles Camille Saint-Saëns(1835-1921)

白鳥

Le cygne

C.サン=サーンス Charles Camille Saint-Saëns(1835-1921)

旋律は湖面を漂うかのように流れ、あくまでもその感情を内に秘めたまま穏やかに進んで行き、やがて、孤独に、しかし優美に気品を湛えて終曲する。2歳でピアノを始め、3歳で初の作曲を行ったサン=サーンスの神童ぶりは、しばしばモーツァルトのそれと比較されることがあるようだ。後年は音楽にとどまらず、詩や哲学の執筆活動や古典劇の演出に関する研究を行うなど、その教養の広さは、彼の音楽の本質を知る手がかりの一つと言えるかもしれない。

P・サラサーテ Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz(1844-1909)

アンダルシアのロマンス

Romanza andaluza

P・サラサーテ Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz(1844-1909)

ヴァイオリニストであるサラサーテは甘美で純粋な音と圧倒的な技巧を駆使した曲を数多く残した。しかし、その技巧はパガニーニのそれが華々しい跳躍技巧を多く取り入れたものであるのに対し、(つまり、パガニーニ自身が柔軟で大きな手の持ち主であったためにそのような奏法が可能であった)、音色の美しさと細やかな運指を極限まで追求したものとなっている。しかも、いかなる超絶技巧曲であっても、つねに音の美しさを際立たせる作品となっている。

この「アンダルシアのロマンス」はスペイン舞曲集の第3曲で、最もスペイン的と言われているアンダルシア地方の民族歌曲の旋律を用いて作られている。伴奏が静かにリズムを刻むのに対し、ヴァイオリン・ソロが表情豊かな旋律を奏で、重音奏法など、名ヴァイオリニストサラサーテならではのフレーズをたどり、やがて冒頭の旋律を静かに回想するかのように幕を閉じる。

ツィゴイネルワイゼン

Zigeunerweisen

P・サラサーテ Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz(1844-1909)

スペインの名ヴァイオリニスト、パブロ・サラサーテは、圧倒的な技巧と甘美な音色で名声を博し莫大な富を得たがその大半はチャリティなどの慈善事業に寄付されたと言う。また、彼は自ら作曲も行いコンサートでも度々演奏したがそれらの作品は今日パガニーニの作品と並びヴァイオリン超絶技巧集として広く親しまれている。しかしツィゴイネルワイゼン・サパティアート・バスク奇想曲に代表されるサラサーテ作品における技巧はパガニーニのそれと違い細やかな運指を駆使した箇所が多く見受けられる。つまり、パガニーニが大きくて柔軟な手の持ち主であり重音奏法や音の跳躍を得意としていたのに対し、手の小さかったサラサーテはより細やかで早い指使いを用いた技巧を多用した。そして、それらは超絶技巧に留まらず常に美しいヴァイオリンの音色を充分に表現する事が出来る作品となっている。このツィゴイネルワイゼンも哀愁と甘美な感傷、そして奔放さあふれる三部からなっている。

バスク奇想曲

Caprice Basque

P.サラサーテ Pablo Martín Melitón de Sarasate y Navascuéz(1844-1909)

数年前、南仏のピレネー山脈の麓で、スペイン領との境、プラドで開かれていたカザルスフェスティバルに参加して、かの地に2週間ほど滞在したことがある。1995年8月の初めのことであった。まさに太陽が直接ふり注ぐような土地であった。そこで私はサラサーテの曲を数曲勉強していたのだが、サラサーテの故郷パンプロ―ナも、このピレネー山脈を越えたところにあるかと思うと、なんだか嬉しくなって興奮したのを思い出す。その中の1曲が「バスク奇想曲」であった。

この曲の持つ醍醐味は、ダイナミックなリズムと哀愁を帯びたメロディーで、それはこの上なく開放的で、情熱的である。この底知れぬのびやかさは、南欧の歴史の中で生まれた民族音楽なのだと痛感させられたものである。時々あの灼熱の太陽の下、滞在していたペンションの御主人夫婦の素朴な温かい人柄を思い出す。そして都会の緊張から解き放たれたあの場所にまた行ってみたくなる。

F.シューベルト Franz Peter Schubert(1797-1828)

アヴェ・マリア

Ave Maria

F.シューベルト Franz Peter Schubert(1797-1828)

シューベルトが父に書いた手紙には、彼自身は賛美歌や祈りの曲を書こうとした事は一度たりともないが、“アヴェ・マリア”のように、無意識のうちに自分の中で生まれてきた賛美歌と聖母への想い、そうした自然の感情が、正しい真実の信心ではないかと記されている。この曲は、英国の抒情詩人、サー・ウォルター・スコットの詩をドイツ語訳したものにシューベルトが曲をつけたもので、ラテン語のアヴェ・マリアとは歌詞の内容も全く違うものだが、その魂を揺すぶるようなメロディーは崇高で美しいものだ。

R.シューマン Robert Alexander Schumann(1810-1856)

トロイメライ 子供の情景 作品15から

Träumerei

R.シューマン Robert Alexander Schumann(1810-1856)

“トロイメライ”とはドイツ語で“夢想”という意味で、“子供の情景”の第七曲目として書かれた。昔、子供の頃、ピアノでこの曲を弾いたことがある。その頃は、音の向こうにある作曲家の言葉に気づくことなどできなかった。それから長い年月が過ぎ、今、ヴァイオリンでこの曲を弾いて、子供時代の夢想にふける。その素朴な音楽の奥にある、感情を揺さぶられるような響きを表現したい。

P.I.チャイコフスキー Peter Ilyich Tchaikovsky(1840-1893)

ワルツ・スケルツォ

Waltz Scherzo

P.I.チャイコフスキー Peter Ilyich Tchaikovsky(1840-1893)

かつては実用的な目的で作られた舞曲作品も、この時代に入ると実際に踊るというよりは、むしろ鑑賞用として作曲されることが主流となった。しかし、チャイコフスキーの舞曲では、同時代に活躍した他の作曲家のそれと比べ舞台上で踊るバレリーナをより鮮明に彷彿させるように思う。この曲は「憂鬱なセレナーデ」の二年後、また「ヴァイオリン協奏曲」の前年に書かれた。つまり、チャイコフスキー自身ヴァイオリン作品に対する創作意欲をより強く持っていた時代の作品であり、バレエ音楽作曲家チャイコフスキー特有の 気品と優雅さ、それに高度な技巧を併せもった作品である。

ただ憧れを知る者のみが

None but the Lonely Heart

P.I.チャイコフスキー Peter Ilyich Tchaikovsky(1840-1893)

チャイコフスキーは生涯に130曲程の歌曲を残しているが、その中で最も知られた作品の一つである。ゲーテの「ウイルヘルム・マイスターの放浪時代」の詩に作曲され、チャイコフスキー特有の情感豊かな旋律がドラマチックに進行していくが、その内面にはチャイコフスキーのメランコリックな様式が生き続けている。チャイコフスキーの歌曲に用いられる詩は、あくまでもその作品の基礎をなすに止まり、旋律が歌詞にとらわれることは少なく、それだけに器楽曲として演奏する楽しみが残されているように思う。

<なつかしい土地の思い出>作品42より、メロディー

Mélodie、Souvenir d'un lieu cher

P.I.チャイコフスキー Peter Ilyich Tchaikovsky(1840-1893)

なつかしい土地とはチャイコフスキーが療養生活を送っていたスイスのジュネーヴ近郊のクラランであると言われている。きっと窓から眺め暮らした美しい土地を離れる時には立去り難かったのではないか、そしていつまでも忘れ得なかったのではないかと思い巡らすのも楽しいものだ。

T.A.ヴィターリ Tomaso Antonio Vitali(1663-1745?)

シャコンヌト短調

Chaconne

T.A.ヴィターリ Tomaso Antonio Vitali(1663-1745?)

この作品が作られた17世紀の人々の息吹が、現在もこの曲の中に生き続けているように思う。こののびやかさ、心を解き放つ豊かな幸せ、しかも毅然とした荘厳さが全体を支配している。

シャコンヌはスペインに起こった3拍子の舞曲であるが、ヴィターリのシャコンヌは12小節のテーマから20の変奏が続く。それにしても音楽とは不思議なものだ。胸はずむ思いをさせてくれたり、涙が出るほど嬉しかったり、いじけずおおらかでいられたり、情熱や野心も与えてくれたり、どこまでも力強く思えてきて、こうしてみると人生にはなくてはならないものかもしれない。

F.ワックスマン Franz Waxman(1906-1967)

カルメン幻想曲

Fantaisie sur Carmen

F.ワックスマン Franz Waxman(1906-1967)

「ナリミチ!素晴らしい贈り物があるんだよ。」ハッソン先生の言葉はいつもふわっとあたたかい。

ある日のレッスンで、ハッソン先生がプレゼントして下さったのが、今や絶版になっているワックスマンのカルメン幻想曲である。私は嬉しさのあまり、それまで長年弾いて来たサラサーテのカルメン幻想曲との違いを丹念に調べてみたり、音符の組み立て方を根気よく調べてみたりして過ごしたことを覚えている。

文豪メリメ作の「カルメン」は作曲家ビゼーによって世に発表されたが、1875年パリで初演された時の評判は良いものではなかったようだ。しかし筋書きの面白さやビゼーの生き生きしたドラマティックな音楽が徐々に人々の心をとらえて行った。そしてサラサーテ、フーバイ、などのヴァイオリンの名手が「カルメン」のスペイン風の旋律を華やかな幻想曲に作り上げている。

ワックスマンの「カルメン幻想曲」は1946年頃作曲されて、ヴァイオリニスト・ハイフェッツに献呈された。オペラの第1幕の前奏曲から取られた〈行進曲〉から始まり、〈ハバネラ〉、〈カルタの歌〉、〈アラゴネーズ〉、〈セギディーリャ〉、〈ジプシーの歌〉等の旋律が続く。ワックスマンはクラシックの分野でも活躍したが、アカデミー賞の「陽のあたる場所」(1951年)、「裏窓」(1954年)、「昼下がりの情事」(1957年)などの作曲者としても知られる。

H.ヴィエニアフスキ Henryk Wieniawski(1835-1880)

創作主題による変奏曲 作品15

Variations on an original theme Op.15

H.ヴィエニアフスキ Henryk Wieniawski(1835-1880)

ヴィエニアフスキの作品は、私にとって登竜門のような存在である。思えば、ヴァイオリンを始めた子供時代、初めて取り組んだ協奏曲もヴィエニアフスキであった。創作主題のよる変奏曲に初めて取り組んだのは、日本で大学を卒業したもののその後の進路が定まらず、もやもやとした気持ちを持ちながら過ごしていた頃であった。当時私は、甘美で技巧的なこの曲を、いかに華麗に弾きこなすかということを強く思い、自身の技術向上のみならず、自分の中にあった迷いをふっきろうとしていたように思う。以来、この曲を奏する時、私は、今は遠い昔とも思える当時のことを、何か郷愁にも似た懐かしい感覚と共に思い出すのである。

この作品はヴァイオリン独奏の哀愁を帯びた主題で始まる。しかし重音奏法が用いられているため、いかに旋律を切れ目なくスム−ズに奏するか、演奏者の技巧が試される。その後は、ヴァイオリニスト作曲家らしく低音から高音まで幅広い音域を駆使し、様々な技巧を織り交ぜながら曲が進行していく。

モスクワの思い出

Souvenir de Moscou

H.ヴィエニアフスキ Henryk Wieniawski(1835-1880)

ロシア民謡「赤いサラファン」の旋律による幻想曲である。ロシア民謡の人気の根強さはいつの世も同じだ。控えめで遠慮深く、哀愁を帯びて淡々と語る美しい旋律に、人は感動させられる。ヴィエニャフスキは彼特有の高い音域の重音やコード、ハーモニックスをこの曲にもふんだんに使っている。

アイルランド民謡 old Irish song

ロンドンデリーの歌

Londonderry Air

アイルランド民謡 old Irish song

ロンドンデリーというのはアイルランド北部の町。過ぎ去った日々が懐かしい。この曲は後年、「ダニーボーイ」としても親しまれるようになった。

滝 廉太郎 (1879-1903)

荒城の月

滝 廉太郎 (1879-1903)

限りなく「和」を感じさせるのは、この作品が栄枯盛衰という古来より日本人の心の内に根づく感覚を表しているためだろうか。極めて動きの少ない旋律であるが、その音楽は雄弁に語る。もしかすると、私が普段向き合っている音楽と対極にある作品かもしれない。

成田為三 (1893-1945)

浜辺の歌

成田為三 (1893-1945)

誰しもが幾度となく耳にしている、歌曲と呼べる程の芸術性を備えた唱歌である。滑らかに流れるように進む旋律は、明治から大正にかけ日本人が追いかけ学び続けた欧米音楽の影響を強く感じさせる。原曲では、一番は朝の景、二番は夕暮れの景を謡っている。歌詞を持たないヴァイオリンでいかに原曲の心を伝えられるか、ヴァイオリン音楽ならではの表現を心がけたい。

山田耕筰 (1886-1965)

からたちの花

山田耕筰 (1886-1965)

北原白秋の詩に山田耕筰が曲を作ったもの。二人の少年時代にそれぞれが見ていた、からたちの花の思い出が繋がり、この作品が生まれた。現代、ともすれば忘れられてしまう、生命に対する尊敬と優しい眼差しを感じさせる曲である。